大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和32年(ワ)430号 判決

原告 株式会社交通日日新聞社

被告 自動車工業株式会社 外一名

主文

原告の請求はいづれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

本件について、当裁判所が昭和三十二年一月二十五日になした昭和三十二年(モ)第八八二号事件の強制執行停止決定を取り消す。

前項に限り、仮りに執行することができる。

事実

原告訴訟代理人は、第一次の請求として、「被告等より原告に対する東京地方裁判所昭和三一年(ユ)第三六〇号宅地建物調停事件の調停調書につき、昭和三十一年七月十二日付与した執行力ある正本に基く強制執行は許さない。訴訟費用は被告等の負担とする。」旨の判決を求め、右請求の理由がない場合の第二次の請求として、「被告等より原告に対する東京地方裁判所昭和三一年(ユ)第三六〇号宅地建物調停事件の執行力ある調停調書に基く強制執行は許さない。訴訟費用は被告等の負担とする。」旨の判決を求め、

その請求原因として、

(一)  原告及び被告等間に、昭和三十一年六月二十日、請求の趣旨記載の調停事件につき、別紙調停条項記載のとおりの調停が成立し、同月二十七日、右正本が当事者双方に送達され、被告等の申請により同年七月十二日同裁判所書記官補高橋徹より執行文が付与された。

(二)  しかるに、右執行文は単なる証明書に附記されたものであるから、執行文としての形式性、厳格性を欠き無効である。

(三)  仮りに有効であるとしても、別紙調停条項第六項記載のとおり、同調停条項第一項の本件室の明渡は同条項及び第五項に定める原告の使用料並びに損害金支払の遅滞を理由とする明渡猶予の取消を条件とし、前記執行文は右条件が履行されたことを事由として付与されたものであるから、この場合、執行文は民事訴訟法第五百二十条により、裁判長の命令がある場合に限り付与されるべきところ、本件執行文は裁判長の命令を経ないで付与されている。

仮りに裁判長の命令があつたとしても、右裁判長の命令文言は、敢日その上に斜線が引かれ抹消されているから、右命令は取り消されたものというべきで、本件執行文の付与はその形式的前提要件を欠き違法である。

しかも、民事訴訟法第五百二十八条により、執行開始前又は同時に執行文並びに証明書の謄本が送達されるべきであるにもかかわらず、原告はその送達を受けていない。

(四)  また、前記調停条項第六項に定める延滞賃料の割賦金及び使用料支払遅滞の有無は執行文付与当時を標準とし、それまでに右支払があれば被告等の同条項に定める明渡猶予取消権は生じないものとすべきところ、原告は本件執行文付与前に右支払をしているので、同執行文の付与は許さるべきではない。

すなわち、原告は被告等代理人に対し、前記調停条項第一項及び第五項の趣旨に従い、昭和三十一年七月十日に延滞賃料割賦金第一回分として金一万五千円を支払い、翌十一日に七月分使用料及び延滞賃料割賦金として金二万円を支払つた。

(五)  仮りに右主張が理由なく、右割賦金第一回分の金一万五千円の弁済期が前記調停条項第五項(イ)に昭和三十一年六月末日限りと定めてあるところから、前記日時における割賦金第一回分の支払は既に弁済期後のものであるとしても、右は本件調停調書正本の送達後、調停条項の重要な部分である第一項中の「昭和三十四年七月末日までその明渡を猶予し」とあるべき部分が、「昭和三十三年七月末日までその明渡を猶予し」と記載されているのを発見し、その事実上の更正方を裁判所に申し入れ、更正された調書の正本の送達あるまでの間被告等から支払の猶予を得、右正本受領後直ちに支払つたのであるから右弁済期後の支払は履行遅滞にはならず、右明渡猶予取消の原因にはならない。

(六)  仮りに右主張が理由ないとしても、被告等代理人は昭和三十一年七月十日に前記割賦金第一回分の金一万五千円を受領し、翌月分の使用料及び割賦金の弁済期まで明渡を猶予し、以後原告は昭和三十二年一月分まで順次約定の金員を期日まで支払うことによつて引き続き明渡の猶予を得たのである。

(七)  仮りに右主張が理由ないとしても、原告は前記割賦金第一回分の金一万五千円を七月五日に弁済のため現実に提供したがその受領を拒絶されたもので、その履行遅滞は僅か一回で、しかも五日間にすぎず、さらに前記のとおり事実上更正された調停調書正本は右同日頃原告に送達されたものであり、その後の支払分については遅滞なく支払済であるから、これをなお、履行遅滞として明渡の猶予を取り消すのは権利の濫用である。

(八)  以上のとおり、本件執行文はその付与手続に違背があり、また別紙調停条項に定めた本件室明渡の執行の条件が履行されていないのに付与されたものであるから右執行文に基く執行不許の判決を求める。

(九)  本訴は第一次に執行文の付与に対する異議として右のとおり執行不許を求めるのであるが、仮りに右(四)乃至(七)に掲げる各事由が執行文付与に対する異議の訴として主張すべき請求原因に当らないとすれば、第二次的に請求に関する異議の訴の方法により、右各事由を異議の請求原因として主張し、本件室の明渡義務の履行期到来を前提とする本件調停調書の執行力の排除を求める。

と述べ、被告等の主張事実中、被告等主張の日にその主張の内容証明郵便が原告に到達したことは認めるが、その余の事実は争うと述べ、

立証として、甲第一号証の一乃至八、第二乃至第八号証を提出し、証人梁瀬明、同小松弘二郎、同水上喜景の各証言及び原告会社代表者本人尋問の結果を援用し、乙号各証の成立を認めた。

被告両名訴訟代理人は主文第一、二項と同旨の判決を求め、答弁として、原告主張の請求原因事実中、(一)の事実は認める。(三)の事実中本件執行文が裁判長の命令なくして付与されたこと。(四)の事実中原告がその主張の日にその主張のとおりの金員を被告会社に支払つたこと及び調停条項の記載が原告主張のとおりに訂正されたことは認めるが、その余の事実はすべて否認する。

民事訴訟法第五百十八条第二項の趣旨は、債権者の義務履行を条件とする場合を規定したもので、本件のように債権者の義務履行を前提とせず、執行が単なる債務者の債務不履行に係つている場合を対象とするものではないと解すべきであるから、同条は本件に適用なく、同法第五百二十条の裁判長の命令を必要としない。従つて同法五百二十八条に基く証明書等の送達も必要でない。被告会社は原告に対し、昭和三十一年七月五日到達の内容証明郵便を以て本件調停条項第六項により本件室の明渡猶予を取り消す旨の意思表示をしたが、右は念の為めにしたにすぎない。と述べ、

立証として、乙第一号証の一、二、第二号証を提出し、証人加久田清正の証言を援用し、甲号各証の成立を認めた。

理由

(一)  昭和三十一年六月二十日、原被告等間に当裁判所昭和三一年(ユ)第三六〇号宅地建物調停事件につき、別紙調停条項記載のとおりの調停が成立し、同月二十七日右調停調書の正本が当事者双方に送達され、被告等の申請により同年七月十二日当裁判所書記官補高橋徹より右調停調書に執行文が付与されたことは当事者間に争いがない。

(二)  原告は右執行文は単なる証明書に附記されたものであるから、無効であると主張するが、成立に争いのない乙第二号証の記載を検すると、右執行文は適式な調停調書の正本に附記されたものと認めることができる。

(三)  次に、原告は本件室の明渡は別紙調停条項第六項の規定により同調停条項第一項及び第五項に定める使用料並びに損害金の支払を原告が遅滞することを条件とするものであるから、執行文は裁判長の命令を得て付与されるべきところ右手続を経ないで本件執行文が付与されたのは違法であると主張するのでこの点について考えてみると、別紙のような本件調停調書の調停条項の記載によると、本件調停の趣旨は、被告会社は原告に対し本件室の明渡を昭和三十四年七月末日まで猶予するが、原告において昭和三十一年六月末日までを第一回として支払うべき延滞賃料割賦金及び使用料を弁済期までに支払わなかつたときは、被告会社は何等の催告を要せず右室の明渡の執行猶予を取り消し、明渡の執行をなし得ることというのであることが認められ、右延滞賃料割賦金及び使用料支払の履行遅滞による明渡猶予の取消は民事訴訟法第五百十八条第二項に定める「条件の履行」に該当するものというべきである。

したがつて前記調停調書に右室の明渡についての執行文を付与するには同法第五百二十条の裁判長の命令を必要とするというべきであるところ、その裁判長の命令がなく、しかも同法第五百二十一条の訴によることもなく前記執行文が付与されたことは当事者間に争いがないけれども、既に本訴において同法第五百十八条第二項に定める条件の履行有無が争われている以上、同法第五百二十一条の訴においては債権者が条件の履行を主張し、これが証明されれば執行文の付与を得られることに対比すれば、本訴において裁判長の命令の有無を争うのは失当という外はない。

(四)  なお、原告は同法第五百二十八条に基く執行文並びに証明書の謄本の送達がない旨主張するが、右は執行開始の前提要件に関することであるから、本訴においてその瑕疵を主張するのはその所を得ていないというべきである。

(五)  そこで、債務者たる原告に前記調停において定められた本件室の明渡に関する執行猶予の取消原因たる前記調停条項第六項に定める履行遅滞があつたか否かを検討する。

(1)  原告が本件調停条項第五項(イ)に定めた延滞賃料割賦金の第一回分金一万五千円を昭和三十一年七月十日に至つて始めて支払つたことは当事者間に争いのないところであるから右金一万五千円は右調停条項第五項(イ)に定める弁済期後に支払われたことは明らかであり、他に特別の事情がない限り前記調停条項に定める履行遅滞があつたものといわなければならない。

(2)  原告は右延滞賃料割賦金等の支払が執行文付与前にあれば、同執行文の付与は許されないことになると主張するが、かくては右調停条項に定めた弁済期は無意味に帰し、執行文付与の前提要件たる事実が常に執行文付与と同時に生ずることになるからかゝる見解は当裁判所の採らないところである。

(3)  原告は被告等から更正された調書の正本の送達あるまで支払を猶予されたと主張するが、右主張事実を認定するに足る証拠は何等存在しない。

(4)  次に、被告等代理人から明渡の猶予を得た旨の原告の主張について考えてみると、証人梁瀬明の証言中には原告の主張に副う趣旨の部分があるけれども強制執行手続を十分に理解していないことに基くものと思われるので採用し難く、却つて成立に争いのない甲第一号証の一乃至三同号証の五乃至七の各記載と証人水上喜景、同加久田清正の各証言を綜合すると、被告等は前記のとおりにして付与された本件執行文の効力を維持しながら単に執行吏に対する明渡の執行委任を一時延期していたにすぎないものと認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(5)  次に原告の権利濫用の主張について考えてみると、証人加久田清正、同水上喜景の各証言及び原告会社代表者本人尋問の結果を綜合すると昭和二十六年頃、原告が本件室を使用するに至つた当時から原告のその使用権限につき原被告等間に争いがあり前後数回に亘る和解の交渉も相互に意思の疏通を欠いたゝめ不調に終つた事実、本件調停も当時被告等の代理人であつた訴外加久田弁護士が被告会社の強い不満を押さえて成立の運びに至つた事実が認められ、本件調停が成立するに至るまでの事情を勘案すると、原告において右調停条項に定めた債務につき多少でも不履行の事実があれば直ちに明渡の執行を受けるであろうことは原告においても充分予想されるであろうことが認められる。尤も、証人梁瀬明の証言によると、当時原告会社の総支配人であつた訴外梁瀬明が原告会社の責任者として本件調停の衝に当つていたが、同人は調停条項第五項(イ)に定めた金一万五千円の弁済期を一ケ月後の七月末日と誤認し、被告会社からの明渡猶予を取り消す旨の内容証明郵便送達後始めて右誤認に気付き、直ちに当時被告会社のため本件室を管理していた訴外佐々木某の許に右金員を持参したがその受領を拒絶された事実が認められるけれども、いやしくも当事者相互の承認を得て成立した調停条項の重要な部分を責任者としてその衝に当つた者がこれを誤認していたというが如きは誤認した原告側に責めらるべき重大な過失があるといわなければならない。

次に証人水上喜景、同加久田清正の各証言によれば、本件調停条項中前記室明渡の執行猶予期間について誤記があり、原告主張の経過でその事実上の訂正が行われたことが認められ、原告がその訂正後の右調書正本を入手したのは前記第一回の延滞賃料割賦金の弁済期である昭和三十一年六月末日前であつたことを確認し得る証拠はないが、原告がその第一回の支払を怠つたのは右調書の訂正に不安を感じたからではなく、前記梁瀬明がその支払期日を誤認していたからであることは証人梁瀬明、同水上喜景の各証言によつて明らかであるから、たとえ右調書の正本を原告が入手したのが原告主張の頃であつたとしてもそのことは被告会社にとつて無関係のことでもあり、原告の遅滞の責を免れしめるものともいえないので、以上の諸事情の下で僅か数日の右遅滞を理由に前記執行の猶予を取り消してもこれを以て直ちに権利の濫用であるとは認め難いところである。

(六)  右によつて、原告の前記履行遅滞の責を免れさせる特別事情を見出せないことになるので、同履行遅滞を理由とする前記執行猶予の取消権が被告会社に生じたことは明なところ、同会社が前記延滞賃料割賦金第一回分の履行遅滞を理由として昭和三十一年七月五日本件室の明渡についての執行猶予を取消す旨原告に対し意思表示をしたことは当事者間に争いがないので、右執行のための執行文付与の要件は満たされたものということができる。

(七)  以上のとおり、原告の第一次の請求原因はすべて理由がないからその第一次の請求を失当として棄却し、原告の主張する各事由は当裁判所も執行文付与に対する異議の訴の請求原因に当るもので請求異議の訴の請求原因には当らないと考え、第二次の請求についても当然にこれを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、強制執行停止決定の取消並びにその仮執行の宣言につき同法第五百四十八条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 畔上英治 三渕嘉子 新谷一信)

別紙

調停条項

一、利害関係人松河松雄所有にかかり原告がその貸室権利を有する東京都中央区銀座東二丁目四番地所在鉄筋コンクリート四階建家屋一棟(自工ビル)建坪四十坪四合三勺、二階三十九坪一合三勺の中四階表側十七坪に対する原告対被告間の昭和二十四年四月一日付締結した賃貸借契約は昭和三十年九月十二日解除となつたことを当事者双方これを承認すること、但し原告は被告に対し、昭和三十四年七月末日までその明渡を猶予し、被告は原告に対し昭和三十一年七月一日以降明渡済に至る迄、毎月二十五日限り使用料として金一万五千円ずつ持参支払をなし猶予期間満了と同時にその明渡を為すこと

二、原告は被告に対しその有する昭和二十六年十月一日より昭和二十七年七月末日迄、一ケ月金七百九十円の割合、同年八月一日より昭和二十九年十二月末日迄一ケ月金七千円の割合による延滞賃料三十九ケ月分金二十二万一千八十一円の債権を本件和解成立と同時に免除すること

三、被告は原告に対し昭和三十年六月一日より同年九月十二日迄の賃料及同十三日より昭和三十一年六月末日迄の損害金として一ケ月金一万五千円の割合で合計金十九万五千円の債務あることを確認すること。

四、被告は原告の文書による承諾なくして本件使用室をその全部であると一部であるとを問わず第三者に使用せしめることは出来ない。

五、被告は原告に対し第三項記載の債務を左の方法を以て持銭支払うこと

(イ) 昭和三十一年六月末日限り金一万五千円

(ロ) 残額十八万円に付いては同年七月より毎月二十五日限り一回に金五千円宛

六、原告は被告に対し被告が一回たりとも前項の支払を怠つたとき、または第一項所定の使用料につき二ケ月分以上その支払を怠つたとき並に第四項に違反したときは何等の催告を要せず明渡猶予を取消し、第一項表示の使用室の明渡を請求し得ること

七、利害関係人吉田智真留は原告に対する被告の金銭債務につき連帯して保証の責に任ずること

八、本件建物の所有者である利害関係人松河松雄はこの調停条項全部を承認し、本調停条項中、原告の有する権利は利害関係人松河松雄もこれを有することを原告及び被告はこれを承認すること

九、訴訟及び調停費用は各自弁のこと

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例